イメージ(写真提供:Photo AC)
高齢者が高齢者の親を介護する、いわゆる「老老介護」が今後ますます増えていくことが予想されます。子育てと違い、いつ終わるかわからず、看る側の気力・体力も衰えていくなかでの介護は、共倒れの可能性も。自らも前期高齢者である作家・森久美子さんが、現在直面している、94歳の父親の変化と介護の戸惑いについて、赤裸々につづるエッセイです。

前回〈「子どもみたいに褒めるな」93歳、認知症の父の機嫌に翻弄され。娘でありながら「保護者」である重圧も。父に対するスタンスの取り方に悩む〉はこちら

サンマは認知症の救世主か

夏バテによる体調不良が改善されてから、父は元気を取り戻し、週に一度のデイケアサービスに休まず通っている。

しかし、父と一緒に買い物に行くことはめっきり少なくなり、私が週に2、3回食材をまとめ買いし、料理を作る。

父の家に着くと、買った食品を冷蔵庫に入れながら、献立の予定を話すのだが、父はどんなメニューであっても、さして興味がないらしく、テレビの画面に目をやったまま生返事をする。

「あぁ、そうか。俺は、出されたものは、昔から、黙って食べる」

ところが、9月の中旬以降、私が買い出しの予定のない日でも、リクエストの電話がくるようになった。

「まだ仕事中か? おまえが来る時、サンマを買ってきてくれないか?」

「昨日の夕飯、サンマだったでしょ?」

「そうだったか? 覚えてないな」

「覚えてない」という言葉は、魔法の言葉だ。認知症の人が発する言葉で、これほど万能で、「人に許される」効力を発揮するものはないように思う。

認知症の人に、「なぜ忘れるの?」と言ったところで、物忘れが治ることは期待できない。私は優しく父に言った。

「サンマは、違う日に買うよ。今日は生姜焼きにしようと思って、豚肉を冷蔵庫にしまってあるの。仕事先からまっすぐ、買い物をしないでパパのところに行く予定だよ」

「いいから、サンマを買ってきてくれ」

「サンマはおいしいけど、私は、2日続けては食べたくないわ。わがまま言わないで」

父はおもしろくないらしく、電話を切ってしまった。

それからも毎日、午後になると父から電話がきた。

「来る時、サンマを買ってきてくれ」

回数が重なると、抗うのが面倒になり、父のリクエスト通りにサンマを買っていくことにした。3日連続でサンマ。1週間で4回サンマ。10日間で6回サンマ。

今年のサンマは小さいが、父は喜んで食べる(写真提供◎森さん 以下すべて)

大根おろしを添えてサンマを食べる父は、「おいしいな」と、心底幸せそうな顔をしていた。

流石に飽きてきたのか、リクエストされる回数は減ってきたが、サンマを食べ始めてから、父は随分しっかりしたように見受けられる。

青背魚に多く含まれているDHAは、脳の神経細胞の情報伝達をスムーズにする働きがあるといわれている。記憶力や認知機能に、良い影響があるとも聞く。サンマを食べて摂取したDHAの効果が、父には表れたようだ。これからはリクエストされない日も、サンマを買って焼いてあげようと思う。