高齢者が高齢者の親を介護する、いわゆる「老老介護」が今後ますます増えていくことが予想されます。子育てと違い、いつ終わるかわからず、看る側の気力・体力も衰えていくなかでの介護は、共倒れの可能性も。自らも前期高齢者である作家・森久美子さんが、現在直面している、93歳の父親の変化と介護の戸惑いについて、赤裸々につづるエッセイです。
「子どもみたいに、いちいち褒めるな」
秋になって気温が下がり始めると、父の体調は薄紙を剥ぐように良くなってきた。8月に熱中症で、体力がガクンと落ちた時は、「ご飯の食べ方がわからない」とつぶやいて、箸を持ったまま、ただ料理の乗った皿を見ていた父。それが、おにぎりや、スプーンだけで食べられるカレーライスなどを用意して、食べることを促しているうちに、自主的に食事できるまでに回復した。
小さな器に入れたカレーライスを完食したのを見て、私はうれしくなり、思わず拍手した。
「パパ、すごい! 全部食べられたね」
父の頭の中には、箸の運び方がわからなくなって食べられなくなっていた自分の記憶はない。きょとんとした顔で私を見て言った。
「あぁ。おいしかったから」
私は、父が「おいしかった」と言い足す気遣いを失っていないことに、救われた気がした。品数を徐々に増やし、スプーンから箸を使う食事に戻していき、10日ほど経った頃に、骨の付いた焼き魚を出してみた。
何事もなかったように、父が普通に箸を動かしているのを見て、私は言った。
「魚も一人で食べられるようになったんだね!」
すると、父がムッとした顔になった。
「子どもみたいに、いちいち褒めるな。俺はお前の親だ」
「あ、ごめんね。孫に言うのと間違えちゃった」
私はそう言って取り繕ったが、認知症の父に向き合っていると、親子の関係が逆転しているような気分になる瞬間が、頻繁にある。私はその度に、父の子どもであると同時に、父の生活を支える「保護者」として接してしまう。
細かいことを気にしてしまう私の性格のせいもあるが、父の生活上の世話を焼く労力より、父に対するスタンスの取り方に悩むことに、より辛さを感じるこの頃だ。