老いることは、諦めること

父が夏の間に体調を崩したのは、暑さのせいばかりではなく、もっと重要な内面的な問題があったと、私は思っている。
「老いることにより失うものを受け入れる」という、誰もが通る道に踏み出すことに、父は必死で抵抗しているように見えた。

一般的には、94歳にもなって、何を今更と思われるだろう。でも、健康で自分のことは自分でできていると思い込んでいる父にとっては、その証明となる運転免許証が最も大事なものだった。

免許更新に必要な書類を、食卓テーブルの上に常に置いて、父は気持ちをアピールしている。それなのに家族一同に反対されるため、父が葛藤しているのは見ていてわかっていた。

7月下旬の誕生日を迎えるまで、父は運転免許を更新したいという気持ちが残っていて、「更新会場に連れて行ってくれないか」と私に言った。

もちろん私は断り、父に理解してもらえるように、なぜ更新させるわけにはいかないかを、丁寧に話した。

昨年末に父は、自宅の車庫が使用不能になるほどの自損事故を起こした。当然、もう運転をさせるわけにはいかないと私が説明しても、父は他人事にしか聞こえないようだった。事故のショックで、父にはその日の記憶がないのだから、仕方がないのかもしれない。

内閣府の統計によると、1960年の自家用車保有率は2.8%だという。1950年代に運転免許証を取得し、自家用車に乗っていることが、当時の父にとってステータスだったのだと思う。

それから60年以上経っても、父にとっては、運転免許証はかけがえのないもので、諦めがつかなかったのは想像に難くない。

誕生日がくれば66歳になる私だが、老いることは、諦めることの連続だと、父を通して学んでいる気がする。