パンダ・ブームは日中関係が新局面へと入ったことを告げる号砲だった

さらに80年には、日中共同取材のドキュメンタリー『NHK特集シルクロード─絲綢之路(しちゅうのみち)』がテレビ放映され、大ブームを巻き起こす。

『中国パンダ外交史』 (著:家永真幸/講談社選書メチエ)

80年代に入ると、北京の故宮博物院の日本出展が82年(国交正常化10周年)、85年、88年(日中平和友好条約締結10周年)と続けて実施された。北京故宮博物院展はその後も、2012年に至るまで約5年おきに折に触れて開催されることになる。

一方、中国においても70年代末になると、俳優の高倉健ブームが起こるなど、日本の映画やテレビ番組を通じた新たな対日イメージが生み出されていく。

メディアを通じて友好的な相互イメージが醸成されるなか、70年代以降の日本と中国の間では人的交流も大きく拡大した。

たとえば、1973年の神戸・天津間や横浜・上海間をはじめ、地方間で友好都市提携が結ばれるようになり、交流のレベルは多層化する。87年には、市立浦和高等学校が公立高校として初めて中国への修学旅行を実施した。

一方、日本が好景気であったことと相まって、中国から日本への留学生数も増加していった。こうして、日中間には交流そのものを目的とした交流ではない、人の活発な往来を通じた文化接触が拡大していくことになる。

振り返ってみれば、72年に来日したカンカンとランランが起こした一大ブームは、まさに日中関係が新たな局面へと入っていくことを告げる号砲だった。