2008年に上野動物園からパンダがいなくなった背景とは(写真提供:Photo AC)
ちょうど50年前の1972年10月、日中友好の証として「カンカン」「ランラン」2頭のパンダが贈呈されると、日本国内では熱狂的なパンダ・ブームが巻き起こりました。実は中国がパンダの外交的価値に気づいたのは1930年代で、「戦争や革命、経済成長のなかでパンダは政治利用されてきた」と東京女子大学・家永真幸准教授は言います。上野動物園が08年に「パンダ不在」となったのもさまざまな事情が絡んでいたそうで――。

中国ブームに沸いた70年代の日本

最近の学生さんたちに話すとひどく驚かれるのだが、1970年代から80年代にかけての日本社会には日中友好ムードが満ち溢れていた。

実のところ、筆者もその頃の記憶はあまりない。しかし、日本政府のおこなう「外交に関する世論調査」を見ると、データのある1978年から中国で天安門事件が発生する1989年まで、中国に「親しみを感じる」とする者の割合は7割前後という高い水準で推移している。ちなみに2021年の調査では、同様の回答は2割にすぎない。

1949年の中華人民共和国成立から72年の日中国交正常化にかけての時期は、日本と中国大陸との間に正式な国交がなかった。その間も芸術、スポーツ、学術、宗教などの領域で民間の交流事業が展開され、相互理解が図られたものの、往来はごく限定的であった。

そのため、72年の国交正常化以降、日本社会には中国との新たな関係の始まりに対する高揚感があふれた。

パンダ・ブームはまさにその象徴であったが、それ以外にも1973年に東京と京都で開催された「中華人民共和国出土文物展」を皮切りに、1970年代の日本では中国から出展された青銅器など出土文物の展覧会が立て続けに開かれ、注目を集めた。