ホァンホァンからリンリンまで

79年9月、上野動物園の懸命の治療も実らず、ランランが死亡した。

中国政府はほどなく、残された雄のカンカンの「新しいお嫁さん」として、80年1月に「ホァンホァン(歓歓)」を上野動物園に贈った。これは、79年12月に大平正芳首相が訪中し、対中ODA(政府開発援助)の開始を発表した直後にあたる。

ホァンホァンを迎えて間もない80年6月、今度はカンカンが急死した。すると、日中国交正常化10周年にあたる82年5〜6月に趙紫陽(ちょうしよう)国務院総理が訪日した際、新たなパンダの贈呈が発表され、同年11月に雄の「フェイフェイ(飛飛)」が上野動物園に到着した。

ホァンホァンとフェイフェイのあいだには人工授精によって三頭の子どもが生まれた。85年6月に最初に生まれた「チュチュ(初初)」は2日で死亡してしまったが、翌86年6月には雌の「トントン(童童)」、88年6月には雄の「ユウユウ(悠悠)」が誕生した。

なお、80年代前半にはパンダ・ブームが落ち着き、上野動物園の年間入園者数は500万人台にまで減っていた。しかしトントンの誕生した86年は600万人台後半の入園者を集め、「第二次パンダ・ブーム」とも呼ぶべき活況を呈している。

【写真】トントン誕生により日本では第二次パンダ・ブームが起きる。『読売新聞』1987年6月1日朝刊より(提供:読売新聞社)

92年11月、繁殖適齢期を迎えたトントンに近親婚ではないパートナーを与えるため、トントンの弟にあたるユウユウが北京動物園の「リンリン(陵陵)」と雄同士で交換された。この年は日中国交正常化20周年にあたり、10月には史上初の天皇訪中が実現したばかりであった。