「もはや以前の私ではない、だから恥ずかしいという感情を抱え続けていたのだと思います。」(堀さん)/「まったく恥ずべきことではありません。私だったら『よく頑張っておられますね』と心から思います。」(清水先生)(撮影:鈴木慶子/写真提供:ビジネス社)

 それまでの私なりのパブリックイメージがありますよね。舌がんになったあとも、いかにそこへ自分を近づけていくかが大事だと思っていたんです。甘かったです。戻れるわけはないんです。舌を切除しているわけですし、先生からも「どう頑張っても完全に、元の話し方には戻りません」とずっと言われていたのに、なぜだかそれを認めようとしない自分がいて。

実際にうまくしゃべれてないのに、それでもまだ自分の身に起きた現実を受け入れていなかったのかもしれません。もはや以前の私ではない、だから恥ずかしいという感情を抱え続けていたのだと思います。

清水 もちろん、がんに罹患されていろいろな事情から恥ずかしく感じる方の気持ちが理解できないわけではないのですが、私は決して恥ずかしいと感じる必要はないと考えています。そもそも「恥ずかしい」というのは、誰かを傷つけたり、自分の過失を自覚して、体裁悪く感じるさまを表現する言葉です。

以前、乳がんになった患者さんがおられました。そのことを恥じておられる様子だったので、乳がんになったのは誰のせいでもありません。それを治すために乳房を切除しただけなのに、それは恥ずかしいことなのか、いけないことなのかというお話をさせていただきました。

堀さんにとって、舌があるときの話し方が正しくて、今のご自身の話し方は間違ったもの、もしくはそれに近いイメージで捉えていたということですね。

 はい。