「何者かにならなくてはダメだ」父の言葉に支えられて

瀬戸内 結婚した頃からまた書き始めましたね。

井上 ええ、40歳くらいからようやくです。結婚がきっかけになりました。結婚式の時に寂聴さんは、「女流作家は幸せになったら書けないんです」って(笑)。でも私の場合はいい方向に働いたようです。父から「何者かにならなくてはダメだ」と言われて育ちましたが、それは本当に父の唯一にして最大の教育でした。小説が書けない時に、じゃ、結婚しちゃえとか、全然違うことをしようとは考えなかった。私ができるのは小説を書くことだけだと思っていました。父にちょっと感謝しています。

瀬戸内 井上さんが誰より喜んでいるわね。

井上 子供の頃からずっと、父が亡くなってからも変わらず、元日は必ず実家で過ごしていました。母が亡くなる前の1、2年は、私の家で母とお正月を迎えました。今は夫と、仲良しの編集者Kさんの3人で過ごすようになった。時の流れを感じます。母のお雑煮は、焼きアゴでだしを取ってブリを入れた博多風。すごく美味しくて毎年楽しみだった。ちょっと寂しいですけどね。ずっとずっと同じように続く情景はないのだと、最近、お正月になると思います。

瀬戸内 私にも変化がありました。娘と思いがけず交流が復活したんです。お正月には娘が孫夫婦とひ孫を連れて訪ねてきました。孫はタイ人の女性と結婚して、2歳の女の子がいるの。私が名前をつけました。娘の亭主は早くに亡くなってしまって今は一人なのだけど、なんだかのびのびしてる。

井上 のびのび。(笑)

瀬戸内 孫は2人、ひ孫が3人います。私、今年の5月には97歳になるのに、文芸誌に連載が2本もあって。皆あきれていますよ。自分でもあきれている。(笑)

井上 今回、母の謎を解くために書き、一瞬わかったような気がしたのですけど、でもやっぱり、まだわからないことがいっぱいあるんです。人間の謎って解けることがないのだと思いました。また、今回はこういうふうに書いたけれど、もし私も寂聴さんみたいに長生きできたら、その時はまた違う視点で3人の関係を書けるのかもしれません。


\今回の対談が収録されている、瀬戸内寂聴さんの金言集が好評発売中/

増補版-笑って生ききる-寂聴流悔いのない人生のコツ』(著:瀬戸内寂聴/中公新書ラクレ)

好評を博した金言集の決定版を約60頁の大増補!健康、夫婦、子育て、老い、人づきあい…あなたの悩みにそっと寄り添う、寂聴さんの熱いメッセージ。

作家として、僧侶として、瀬戸内寂聴さんはたくさんの名言を残しています。年齢を重ね、老いを受け入れ、周囲との人間関係や、家族のかたちも変わっていくなかで、私たちは、その言葉に心のよりどころを求めます。
本書は『婦人公論』に掲載された瀬戸内寂聴さんのエッセイ、対談、インタビューから厳選したものです。
私たちの気持ちに寄り添い、一歩を踏み出す勇気を与えてくれる瀬戸内寂聴さんの言葉を、この一冊にぎゅっと詰め込みました。