それから5年余りして、引きこもりの息子がわが家にやってきた。「猫が歩けなくなった。長くないだろうから顔を見てやってほしい」と言う。私は「もう縁は切れているから」と断った。それでも懇願され気持ちが揺れた。
何十年も引きこもっている彼が、わが家まで来てくれたのだ。それに、ひょっとしたら黄泉の国へと旅立つ前に、チョコまねと和解できるかもしれない。
猫は毛布の上に横たわっていた。「チョコちゃん」と呼びかけながら、そっと頭を撫でた。すると身をよじり、満身の力を振り絞って後ずさる。その姿に涙が溢れた。やっぱり来るんじゃなかった。後悔しながら、私は逃げるように帰った。
翌日、チョコまねが死んだとの知らせを受けた。介護していた母はその3年前に亡くなっていた。ようやく喪失感から立ち直ったところで、今度は猫。しかも最後まで心を許してくれなかった。あの小さな動物にここまで嫌われた理由は何だろう。
チョコまねは無類のやきもちやきだった。「子猫ばかりかわいがって、こんな家は嫌だ」と思ったのか。いやそんな単純なことで、こんなに根に持つだろうか。今も同居しているチョコまねの子猫3匹に、つい問いかけてしまう。結局何もわからない。わからないから忘れることもできない。
いつになったらこの思いは消えるだろう。ざらざらした暗い気持ちは広がっていくばかりだ。猫語を話すことができたら、最後にチョコまねの気持ちを聞いてみたかった。