気をよくした私は、語学雑誌を手にとるようになり、通訳、翻訳、ライターなど、英語を活かした仕事に興味を抱いた。そして、40代を前に、私の心のなかで、ある望みが芽を出す。東京の英語翻訳専門学校で本格的に学んでみたくなったのだ。まず各種の学校案内を取り寄せた。一番の負担となる東京までの交通費、それと授業料を念頭に入れて探す。30年の実績を誇る学校がよさそうに思えた。

難関は夫である。承諾を得るために、意を決して切り出した。「東京の専門学校へ行きたい」と。「お前、本気か。お金はどうするんだ」と言う夫に、授業は週1回、授業料と交通費はパートで働いて工面すると説明した。夫は驚きつつも、どうにか許可をくれた。

おかげで私は夢の実現に向けて、一歩踏み出した。求人情報をあたって、市内にあるカントリークラブの厨房の仕事を見つける。いい職場環境で、学費は順調に貯まっていった。

だが、思いもよらない災難に見舞われた。ある日、足腰が痛み出し、病院で診察を受けると坐骨神経痛との診断。薬も効かず、パートにも行けず、家で闘病の身に。このまま歩けなくなってしまうのか、寝たきりになるのかと、毎日不安で心が灼けつくようだった。

そんな絶望のどん底にいたとき、ふと頭に浮かんだことがあった。20代の頃、東京の東洋医学の先生に体調不良を治してもらったことがある。当時お世話になった病院の電話番号を見つけて、病状を説明し、予約を取り付けた。夫に駅まで送ってもらい、わらにもすがる思いで向かう。知っている先生は関西出張で不在のため、別の先生が診てくれる。

東洋医学がベースの治療法は、今までの病院のそれとは違うものだった。まず両足の指をよくもみほぐすこと。日本酒を入れた酒風呂に入ること。夜寝る前に足湯をすること。この3つを毎日実行すれば回復するという。

帰宅してから、私は毎日実践した。これしかない。必死だった。それから3ヵ月後、足の痛みが消えて歩けるようになった。まるで奇跡のよう。家族も回復を喜んでくれて、自分の足で歩けるありがたさを痛感した。

時間のロスを取り戻すべく、また私は仕事を探した。今度は、病院の厨房で。早朝シフトだったが学費捻出のために頑張った。数ヵ月後、目標金額が貯まったのでパートを辞め、ようやく入学という夢の準備に取りかかった。