パート仕事と学業で充実の日々

2002年4月、私は心弾む思いで東京へ出発。電車で片道2時間、ついに語学学校の受付で学生証を手にした。苦労して入学した自分が誇らしい。教室に入ってきた講師の先生は、語学雑誌でよく目にしていた顔だ。

まず、教壇の先生から翻訳業全般のレクチャー。そして生徒一人ひとりの自己紹介。15人の生徒は年齢もまちまちで、他県から通学するのは私だけだった。2週目からは本格的な授業だ。家では家族の食事の用意や洗濯などの家事をして、残りの時間で課題に向き合った。

半年間の英文和訳の授業が修了すると、次は和文英訳の授業が始まる。翻訳には、一見無駄と思えるような雑学の知識も必要とされる。アメリカ人講師による英語での授業で、日本語は禁止。私は英語が聞き取れずチンプンカンプンで、課題文を仕上げるのに四苦八苦した。

進級テスト後、先生との個人面談で、私の成績は合格ラインをクリアし「中級コース」へ進めるという。まずは一安心。しかし、1年間の受講で学費が底をついた。「また学費を作ってから復学したい」と先生に告げた。先生からは、英語のレベルを落とさないようにとアドバイスをもらった。本当に充実した1年だった。

復学することを心に決めて、またパートを探す。地元で朝7時半から夕方5時までの仕事に就いた。勉強との両立は大変だったが、英検2級の合格も勝ち取った。目標が達成できると目の前が開ける。どうにか学費が貯まり、また仕事を辞めて学校に連絡した。