苦しいこともステップのひとつ

もうひとつ、「逆算」をしながら目標設定をしていくことで、「挫折」という感覚がなくなりました。

つまらない人生だと言われそうですが、どんなに苦しい出来事があっても「目標を達成するためのひとつのステップだったな」と捉えられるようになったのです。

どんなに苦しい出来事があっても「目標を達成するためのひとつのステップだったな」と捉えられるようになったのです(写真提供:Photo AC)

自分が出場したリオデジャネイロ五輪。サッカー人生をかけていたにもかかわらずたった一週間で、あっという間に終わってしまいました。

でも「限界」を感じたあの大会ですら、壁や挫折のように感じたわけではありませんでした。

あのときの僕は、「海外へ移籍して活躍する」という「夢」を持ち、その中にリオデジャネイロ五輪でメダルを取る「目標」を設定していました。全力で戦い、チームのために尽くしたつもりでしたが、その「目標」は実現しませんでした。

でも、だからと言って「海外へ行って活躍する」という夢がついえたわけではありません。むしろ、夢や目標を実現する過程には「失敗」や「苦しい経験」が存在することを想定していた。逆算をしていくと、「それはあるだろうな」「簡単にはいかないよな」と現実をはっきりと捉えることができます。

ですから、大袈裟でもなんでもなく「人生をかけた」戦いに敗れても、「あり得る」と大きなショックを受けずにすみました。

ひとつのステップにできていたと言えます。

リオデジャネイロ五輪の敗戦後の姿はいまでも思い出すことができます。ロッカールームにスタッフ、選手、関係者のみんなが集まり、最後のミーティングをします。

監督の手倉森さんが僕たちに言葉をくれました。涙を流していました。

「これからはA代表で活躍してくれ」

多くの選手が、同じように目に涙をためていました。

キャプテンだった僕も、その姿や雰囲気に心を打たれました。

ミーティングの終わりは、僕の三本締めと決まっています。手倉森監督と目が合いました。

「最後に、一言──」そんな、雰囲気だったと思います。

でも、僕は言葉を出すことができませんでした。

この大会が、敗北が、僕たちに必要な「ステップ」を知らせてくれていたからです。

いまであれば、それでも労いの言葉を伝えるべきだったな、と思います。けれど、「限界」を感じたからこそ、やらなければならない目標が、あまりにもはっきりとしすぎていました。それに思い至るほど、同じように感じているだろうみんなに掛けられる言葉がなかったのです。