伯父は80歳手前で、親子ほど年が離れた50代半ばの和美さんと出会った。折り合いの悪かった妻と60代で離婚した伯父は、東京で学生時代の同級生だった女性と交際し、デートや旅行を楽しんでいた。

その女性と別れた後、紹介で知り合った関西の女性と遠距離交際をスタート。それが和美さんだった。驚くことに、2人を引き合わせたのは和美さんの娘。伯父が泊まった関西の旅館で、たまたま娘さんが働いていて、その同僚や友人たちと旅館でカラオケを楽しんだことがきっかけだとか。

その時、伯父に好印象を持ち、長くシングルマザーだった母親に連絡をとるよう勧めたのだという。奇跡のような出会いだが、昔から女性に対して積極的だった伯父にとっては、晩年の出会いも想定内だったろうか。

和美さんは小柄で色白の、サバサバした性格の女性だ。一時期は、東京の伯父のアパートで半同棲生活を送っていたが、実父の体調が思わしくなく、実家のある青森に帰っていた。それからも、時々やって来ては伯父と会い、入院してからも様子を見に来てくれていた。ひとり息子を若くして亡くした伯父の最期を看取ったのも和美さんだった。

病院を後にして、伯父が暮らしていたアパートを訪ねて大家さんにお礼をし、夕方に別のホテルに泊まっている和美さんと落ち合った。「遠いのに大変でしたよね。最後まで本当にありがとうございました」と、母や伯母とともにお礼を伝えた。

夕食をともにしながら、伯父との思い出や翌日のスケジュールを話し合う。死亡診断書と死亡届の提出、斎場の申し込み、お寺への連絡、病院への支払い、デイケアセンターから荷物の引き取り、アパートの片づけなど、やるべきことはたくさんある。人が亡くなるというのは本当に大変なことだと、つくづく実感した。

翌日、病院でお経をあげてもらい、受付で手続きをしていると献体を勧められた。お世話になったのだからと承諾。ロビーで2時間ほど待っただろうか、受付で献体のお礼として「御香典」と書かれた、白黒の水引が結ばれた封筒を渡された。中を見ると3000円が入っている。人は亡くなってしまえば3000円の価値しかないのか……、そう思うと伯父が少し気の毒だった。

斎場へ行き、お坊さんに弔っていただいて荼毘に付す。その遺骨を持って、伯父が生前懇意にしていたお寺へ。伯父が京都好きだったこと、私たち3人が関西在住ということで、住職と相談して京都のお寺への納骨を決めた。お寺を出て、再びホテルの部屋で和美さんと明日の段取りを話し合うことにした。