お産の介助をしていた鎌倉初期の大貴族

夫が妻の出産の手助けをすることは鎌倉時代に入っても続いていたようで、二条と呼ばれる実在の女性による赤裸々な告白録『とはずがたり』には、後深草院の愛人だった彼女が、別の男の子どもを生む際、その男が介助してくれた様が描かれています。

産気づいた二条があまりの苦痛に起き上がると、その男は、

「あのさ、出産の時は腰とか抱くらしいけど、そういうことをしていないから滞っているのかも。どうやって抱けばいいの」

と言って二条を抱き起こします。その袖にすがりついて、ほどなく赤子が生まれたのでした。

"あなうれし"

と言って、

「重湯を早く」などと男が言うので、事情を知る女房たちは、

「いったいどこでこういうことを習われたのでしょう」

と、感動し合ったのでした(巻一)。

この二条の恋人は作品では"雪の曙"というハンドルネーム的な仮名が与えられていますが、大貴族でのちに太政大臣となる藤原(西園寺)実兼であることが知られています。

『とはずがたり』によれば、彼は枕元の小刀で臍の緒を切って、赤ん坊を抱っこして外へ出た。それっきり二条はその子に会うことはありませんでした。

二条が、

「女の子でさえあったのに」("女にてさへ、物したまひつるを")と、生まれた子が女子であったがために、なおさら離ればなれになるのを惜しんだのは、この時代の娘の地位の高さを表しています。

 

※本稿は、『ジェンダーレスの日本史――古典で知る驚きの性』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。


ジェンダーレスの日本史――古典で知る驚きの性』(著:大塚 ひかり/中公新書ラクレ)

肉体の性別とは違う性認識を持つことが尊重されるようになってきた。先進的に見えるが、じつは日本の古典文学には、男女の境があいまいな話が数多く存在する。男同士が恋愛仕立ての歌を詠み合ったり、経済力のある姫が一族を養う。太古の神話から平安文学、軍記もの、江戸川柳まで古典作品を通して伝統的な男らしさ・女らしさのウソを驚きをもって解き明かす。昔の日本の「性意識」がいかにあいまいだったか、それゆえに文芸が発展したかも見えてくる。年表作りを愛する著者による「ジェンダーレス年表」は弥生時代から現代までを網羅。