永遠のような絶望を経て思うこと

最近、ロボットでもできる仕事が多いような気がして、なんとかならないものかと思います。工場で働いていた時は、機械の歯車と化すような仕事に心も身体もくたくたになって。朝またあのいつもの一日が始まるかと思うと絶望するんです。その繰り返しが永遠に続く。

それでも工場を辞められなかったのは、たとえ欠勤扱いで減給されても子どもの急病などの事情で仕事を休みやすかったから。そんな職場は他になかったから、なかなか辞められなかったのです。

年次有給休暇の権利がパートにもあることを知り、それを恐る恐る社長に聞くと「そんなものやってたら会社が潰れてしまう!」と話にもなりませんでした。

従業員の女性たちにも年次有給休暇の権利があるのだと話しても「そんなこととても言えない」「雇ってもらえるだけでありがたいのに」と、自分たちの待遇に疑問をもつ人はいませんでした。権利はまず知識として知っていなければ、そして主張しなければ手に入らないのだと痛感しました。

女性だから、非正規雇用だから、人として扱われずに使い捨てられる。そんな時代が早く終わってほしい。義務教育では、国民の三大義務として「勤労の義務」は教わりますが、自分を守るための労働者の「権利」は教えてもらえません。

私は自分の失敗や教訓を生かし、我が子たちに政治の話も労働者の権利についても日常的に話すようにしています。

やりがいを感じることを仕事にするのが一番いいと今、実感しています。必要とされる今の職場で働ける環境がなければ、生きている実感もない。息子を見ていても、今は野球チームで満足しているけど、これから夢に向かって挑戦をしたくなることも出てくるんじゃないかと。その時、したいことをさせてあげたいです。そういう世の中を作りたい。

核家族化が進み地域の関係も薄くなってきて、子どもも大人も孤立しやすく、そうした子が思い切り遊べて、立ち寄ってくれる人が安心してすごせる常設の居場所を作ることが私の夢です。

放課後の子どもの居場所運営に向けた活動と子ども食堂の活動を市民活動としてすでに始めていますが、運営する側も生活があるのでボランティアじゃなく、いつか、きちんと事業として収入を得ながらできたらと思っています。無理はしないで、これから10年くらいかけて叶えたいです。

※本稿は、『年収443万円―安すぎる国の絶望的な生活』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。


年収443万円―安すぎる国の絶望的な生活』(著:小林美希/講談社現代新書)

平均年収443万円――これでは“普通”に暮らすことができない国になってしまった。ジャーナリストが取材してわかった「厳しすぎる現実」。昼食は必ず500円以内、スタバのフラペチーノを我慢、月1万5000円のお小遣いでやりくり、スマホの機種変で月5000円節約、ウーバーイーツの副業収入で成城石井に行ける、ラーメンが贅沢、サイゼリヤは神、子どもの教育費がとにかく心配……「中間層」が完全崩壊した日本社会の「本当の危機」とは?