富士川の戦い 源頼朝 VS 平維盛
一方、頼朝は20万騎の大軍を率いて鎌倉を進発。これに、駿河の平氏勢を破った武田信義ら4万の甲斐源氏も加わり、富士川(静岡県富士市)で平氏軍と対峙した。
しかし、敵の大軍を前に、平氏軍からは源氏方に寝返る兵が続出する。
官軍である平氏軍には諸国の国衙(こくが=国守の政庁)を通じて招集された駆武者(かりむしゃ=臨時戦闘員)が多かった。彼らは平氏に仕える家人ではないため忠誠を尽くす義理はなく、戦況が不利となれば戦線を離脱してしまう烏合の衆だったのだ。
圧倒的劣勢を前に、総大将の平維盛は藤原忠清(ふじわらのただきよ)の説得を受け、やむなく撤退を決定する。
その夜、甲斐源氏が平氏軍の背後に回り込むため行動を開始したことで、富士川で休んでいた水鳥が一斉に飛び立った。これを敵の襲来と錯覚した平氏軍は、戦わずして京に向けて敗走する。
『平家物語』で有名な逸話だが、公家の日記にも噂として書きとめられており事実であったようだ。同時に、途中の手越宿で火災が発生したことも混乱に拍車をかけたとみられる。