お正月には子どもや孫にお年玉をあげるというのが当たり前だったが、コロナ禍でそういった機会がなかったという人もいるだろう。なかには、会って渡せないけれど、「しきたり」だからと、わざわざ送った人もいるかもしれない。しかし、日本の「しきたり」に関して著書もある宗教学者の島田裕巳さんは、正月が来たからといって、子どもにお年玉をあげなければならない理由はないという。(写真提供:写真AC)
※本稿は、島田裕巳著『神社で拍手を打つな! 日本の「しきたり」のウソ・ホント』(中公新書ラクレ)の一部を、再編集したものです。
お年玉はいつからはじまったのか
辞書では、しきたりとは「以前からのならわし。慣例。先例」(『広辞苑』第5版)や、「前々からそのようにしてきたこと。ならわし。慣例」(『大辞林』第3版)と説明されている。
ところが、しきたりのすべてが以前から行われてきたものではない。むしろ、新しいしきたりの方が多いくらいだ。しきたりは、新陳代謝をくり返している。
では、本当に、昔から同じように営まれてきたしきたりはあるのだろうか。
たとえば、正月のしきたりとして、子どもに現金を渡すお年玉がある。これがいったいいつはじまったのか、正確なところは分からない。戦前から戦後すぐの時代までの小説を見ても、このしきたりについてふれているものはない。
だが、私の子ども時代には、お年玉を受けとった記憶がある。ということは、高度経済成長の時代がはじまった頃には、少なくともこのしきたりは存在したことになる。
正月が来たからといって、子どもにお年玉をあげなければならない理由はない。子どもは普段、小遣いを貰っている。決まった額を貰っていなくても、必要に応じて親から与えられている。
お年玉ということば自体は昔からある。新年に、主に目上の人間から目下の人間に贈られるもののことをさした。お年玉の反対がお年賀で、こちらは、逆に目下の人間が目上の人間に贈る。ここにも互酬性の原理が働いている。
しかし、正月に子どもにお年玉として現金を贈るようになるのは、戦後になってからのことである。おそらくその背景には、戦後になって企業に雇われるサラリーマンが増え、年末に賞与が給付されるようになったことが関係しているのではないだろうか。賞与の分け前が子どもにも及んだわけである。そのことが社会全体に波及した。
本来だったら、賞与が貰えない家、あるいはその額が低い家は、子どもにお年玉として現金を渡す必要などないはずだ。ただ、ほかの子どもが貰っているとなれば、貰えない子どもは親にお年玉を要求する。今では、すっかりこのしきたりが定着した。