「バッティングにバットは関係ない」

瑛介も6年生に上がった頃からこのバットが欲しくて、肩叩き券発行など涙ぐましいアピールで親にねだっていたのだが、「バッティングにバットは関係ない」という父の一蹴で、大会シーズンが始まっても全く買ってもらえる気配はなかった。

そのうち、春には打ち負かしていたチームが「飛ぶバット」を揃えてくると、初夏にはホームラン攻勢で逆に負かされるようになってしまった。

瑛介は4年生の時から同じ複合バットで、体格が変わってもずっと大事に使い続けていた。

「道具を大事にすれば長く使えるし、愛着が湧くと自分が弱い時にもバットが味方になって助けてくれる…」

そんな気がして、とにかく簡単にバットを変えないで使い続けることが大切だと言い続けてきた。

ところが対戦チームに「飛ぶバット」がどんどん浸透していくと、外野手がフェンスギリギリのところで待ち構えて、球がフェンスを越えるか越えないか、という展開の試合が多くなっていった。

我がチームはまだ1本も「飛ぶバット」を使う選手がおらず、これは戦略としてどうしたものか、と、大人の間でもかなり話題になった。

そりゃホームランかっ飛ばせれば、子どもだって大人だって野球は楽しい。
野球は楽しんでやるもの。楽しくて何が悪い。
子どもにはそんな思いをさせてやるのが大人の役目。苦しいばかりが野球ではないはず。