銭湯でしか生まれない繋がり

最初は声が大きくてうるさいなあと思っていたおばさんが「歩波ちゃんは神よね!」と可愛がってくれたり(なんで?)、ツンツンしていたおばさんが毎回お菓子をくれるようになったり、酒やけで何言ってるか分からなかったおばあちゃんの言葉が少しずつ分かるようになったり。毎日少しの会話の積み重ねで、その人の人となりを深く知れることもあるが、名前や職業は分からない関係性が面白い。

まず名前と職業を先に知る普通のコミュニケーションと順番があべこべなのは、銭湯が服を取っ払って裸で過ごす場所だからなのかもしれない。メディアにも出る仕事をしているからこそ、何者にもならなくていい銭湯のコミュニケーションに、私はいつも癒されている。

無事に引越しを終えて、これから新しい町での暮らしが始まろうとしている。ホーム銭湯も、小杉湯から新たな銭湯になるだろう。近場の銭湯を検索中に、ふと小杉湯の番台で出会ったおばあさんのことを思い出した。忘れられない、大切な思い出だ。

杖をついていて、いつも夕飯時にやってくるおばあさんは、入浴券を番台に置いたあと、背中を丸めながら脱衣所へ入っていく。暑い日も寒い日も小杉湯に来てくれて、毎日顔を見られるのは嬉しいけれど、弱々しい手で杖を頼りに歩く姿は少し心配で、番台にいる時はなるべく声をかけていた。

ある日、番台でそのおばあさんと顔を合わせた時、「あなたの顔を見ると足が軽くなるのよ」と笑顔で言ってくれた。私は些さ細さいな会話しか交わしていない。それでもそう思ってくれるなんて。胸が熱くなり、忙(せわ)しない番台作業の合間に少しだけ泣いた。

小杉湯を退職した今は銭湯に通う立場になるけれど、新しいホーム銭湯でもそんな出会いがあったらいいなあと思う。新型コロナの感染拡大でおおっぴらにお喋りするのは難しいが、同じ湯に浸かるだけでも、少し目配せをするだけでも、番台で一言二言話すだけでも、毎日続ける些細なやりとりが繋ぐ絆もあるんじゃないか。それは銭湯でしか生まれない温かな繋がりだ。

 

※本稿は、『湯あがりみたいに、ホッとして』(双葉社)の一部を再編集したものです。


『湯あがりみたいに、ホッとして』(塩谷歩波/双葉社)

設計事務所から転職し、「番頭兼イラストレーター」として活躍した銭湯を退職、画家として独立した著者。100℃のサウナと0℃の水風呂を往復するように波瀾万丈な人生ではあるけれど、銭湯やサウナ、それを愛する人々に助けられたり、笑わされたりして、少しずつ自分らしくいられる場所を作っていく。銭湯の番頭業務の裏側や『銭湯図解』制作秘話、フィンランドサウナ旅など、濃厚エピソード満載! 読むとホッとして、ちょっとだけ前に進む気持ちになれる――。『銭湯図解』で話題沸騰の著者による、笑いあり涙ありのエッセイ集。