「2022年の日本のジェンダー指数は、世界146ヵ国中116位。それを永田町のおじさんたちは、恥ずかしいとは思っていないんでしょうね。」(酒井さん)

酒井 85年に第3号被保険者制度ができたのは、なぜなのでしょう。

上野 85年といえば、男女雇用機会均等法が成立した年です。当時は均等法をめぐる攻防が激しく、知らない間に第3号被保険者制度ができていました。

この時に反対をしたのが、全国女性税理士連盟です。当時の会長だった遠藤みちさんに聞きましたが、大蔵省に話をしに行ったら、担当官は「では、年寄りの面倒は誰がみるんですか」と答えたそうです。語るに落ちるとはこのこと。

酒井 はぁ……。嫁が舅姑の介護をするのが当たり前だ、と。

上野 61年にできた配偶者控除は、内助の功に対するご褒美。85年の第3号被保険者制度は、来たるべき高齢社会における介護に対するご褒美です。(笑)

酒井 そういえば、当時の首相だった中曽根康弘さんが、すごいことを言っていましたよね。

上野 「家族は福祉の含み資産」。地方自治体は「孝行嫁表彰」なんてことをやっていました。それに怒った人たちが作ったのが、樋口さんたちの「高齢社会をよくする女性の会」です。

酒井 先輩女性たちが頑張ってくださったおかげで、介護保険も実現したんですね。

上野 はい。85年には、労働者派遣事業法が誕生しました。これが女性を3種類に分けた。男並みに働く総合職の女。家計補助のために働く非正規雇用の女。そして、家で育児・介護をやる女です。今思えば85年から86年は、女性の分断元年、「女・女格差」元年でした。

酒井 新たな分断構造が生まれたわけですね。

上野 今や生産年齢人口(15~64歳)の女性の7割が働いています。そのうち54.4%が非正規雇用です。ところが制度を作った後に訪れた不況のおかげで、番狂わせが起きた。

非正規雇用の労働市場に、男性や、家計を維持しなければならないシングルやシングルマザーが参入した。それがものすごく大きなひずみを生みました。