鳴海城、大高城は重要拠点だった

そもそもなぜ今川義元は尾張へ進軍し、桶狭間の戦いが起きたのでしょうか?

今川家が上洛するための戦いではありません。尾張を統一しつつある信長と今のうちに決戦をしよう、という戦いでも……ないと思います。ではいったいなぜ?

この戦いの目的は、いずれも名古屋市にあった鳴海城、そして大高城をがっちりと今川の領土に組み込む、ということにあったとぼくは思っています。

このあたりを押さえると、知多半島が今川のものになる。知多半島は常滑焼きを作成する豊かな土地だし、伊勢湾の交易にも参入できる、とても「おいしい」城なのです。

このおいしい鳴海城が、山口教継の離反により、織田方から今川方に寝返ってきた。義元にすれば、しめしめ、ですよね。