「推し語り」の連鎖
推し活という言葉が一般的になり、テレビや雑誌でもよく取り上げられるようになった。
そこでは、どうしても推しに惜しみなく課金する人がクローズアップされがちだ。
推しのためにと思うと働くモチベーションが高まる、というのはすごくいいことだと思う。
一方で、推し活=お金をかけまくるものというイメージが強いのも事実。
そして、ライブに当選するのにも倍率をあげるためのファンクラブに入ったり、交通費や宿泊費がかかったりと、実際にとにかくお金はかかると聞く。
だから推し活にお金は無用!なんて綺麗事をいうつもりもないけれど、「かけるお金=推しへの思い」ではない、とは思っている。
十分なお金があるならいいが、そうでない場合、生活が成り立たなくなるほどお金をつぎ込むのが健全だと思えないし、私が推される側だったら、無理のない範囲で推し活してほしいと思うだろう。
例えば推しの動画や関連記事をたくさんみたり、感想やファンレターを送ったり。そういうことだって、立派な推し活だと私は思う。
そして、書き手である私の究極の推し活は、推しについての記事を書くこと。
推しについて記事を書くと、本当にその推しのファンの方々からびっくりするくらい優しく、温かい感想が来る。推しの人柄はファンに伝染するのだと実感する。
推しの魅力や推しへの感謝を書くことで、またそれを読んだ人が推しについての感想を書いてくれて、やっぱりそうだよね!最高だよね!と共感し合い、それが広がっていく。それを見るのが本当に幸せなのだ。
「推し語り」の連鎖、尊すぎる。
推しについて書けるなんて書き手としてこんな幸せなことはない。
そして推しについて書くたびに気づく。
推しの素晴らしさを伝えようとすると、自分でも自分の中にはあったとは思えない言葉が引き出されたりする。
推し語りによって書き手の語彙力は成長するのだ。
この尊さを最大限に伝えるためには、あらゆる言葉を探し、持てる力を全て尽くさなければ!そんな思いになるからだ。