”死ねない理由”ができてしまった

推しに出会って変わったこと、推しに救われたことをあげればきりがないが、究極的なことをいうと、私は推しに「生きる意味」を教えてもらった。

『死にそうだけど生きてます』(著:ヒオカ/CCCメディアハウス)

今まではというと、大げさではなく、本当に生きている意味がずっとわからなかった。
なんならずっと死んでしまいたかった。
でも死ぬ勇気はないから、なんとか不可抗力で死に至れないものかと思い、事あるごとに死に方を妄想してみたりしていた。

でも、推しを推せるようになった今、推しのこれからを見られないなんて無理!もっと推しをみていたい!と思うようになった。
そう、”死ねない理由”ができてしまった。
推しを生で見るまでは!この目に焼き付けるまでは!何としても生きねばならん!
まるで別人やないか、と自分でも思う。すげぇな推しパワー。

写真提供◎AC

つい数日前も、推しである羽生結弦選手の東京ドームでのアイスショーの抽選結果が届き、前回のプロローグに続き全落ちした。(これで最後ではないのでまた応募した)
でも絶対諦めないぞ!同じ時代を生きているこの奇跡を無駄にはできない!という思いが、また私に生きる力を与えてくれている。

さらに、以前この連載でも書いた推しのちゃんみなさんも、私に生きる喜びを教えてくれた。
ちゃんみなさんの尖っていて自由で、何にも囚われない生きざま、表現、率直過ぎて、抉られるような歌詞、強すぎる見た目。
全てに心を鷲掴みにされる。

この人、本当に他者(の目線)を介在していない、「自分がどうあるか」に100%本気なんだ。
表現ってこういうことだ。ちゃんみなさんのパフォーマンスを見るたびに、自分の心を覆うベールが剝がされていって、真髄が露わになる。心のど真ん中に響いて、共鳴する。
そして思ったことがある。

「いつかやりたい、は機会を自分で作らないとやってこない」
「生まれ変わったらこうしたいといって願望を押し込めてきたけれど、来世なんてないのだから、いまやりたいことをやろう」
「人目を気にしてる時間がもったいない。人目を気にしていたら人生終わるから、自分の尺度での表現を追求しよう」

瞬間瞬間を全力で、さらにこれでもかと「自分」を表現しているちゃんみなさんを見ていると、そんな思いがふつふつとわいてくるのだ。
もちろんまだまだ全開とは行かないけれど、以前より表現することが楽しくなった。
人目を気にし過ぎて控えめにしていた時は感じられなかった、「あぁ!生きてる」という感覚を得られるようになった。大げさではなく、ちゃんみなさんという推しに出会って、私は生きるのが楽しくなった。

推しの魅力をもっと書き手として伝えよう。推しのライブに行けるようお金を貯めよう。
そんな思いが、今私が生きる原動力になっている。

生活の安定は人にあらゆる面で変化をもたらす。推しを推せるようになった、それによって生きる意味を見出せた。これが私が思うその変化の一つだ。
人は衣食住だけで生きていけるのではない。
生きがいや充足感、それがあって本当の意味で生きていけるのだと思う。
(もちろん、生きがいを感じる上で誰にとっても推しが必須、とは思わない)
それについては次の機会にまたじっくり書きたいと思う。

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