ひばりさんが入院前日にかけてきた電話
昭和六十三年四月、大病したひばりさんが東京ドームで復活公演をしたときは、このまま元気になってくれると期待した。ところが翌年、年号が平成に替わった二月から始まった全国ツアーは、わずか二回で中止になった。
肝硬変が悪化したのだ。療養中のひばりさんは自宅で好きな絵を描いて過ごしていたようだが、再度入院することが決まった。
入院前日の夜、私のもとに電話がかかってきた。
「メイコ、今、試しに布団を被って、『リンゴ追分』を歌ってみたんだけど……。ワンコーラス歌うだけで息が苦しいの。あの美空ひばりが、だよ」
電話を切った後、私は娘のカンナの部屋に行って一晩中、泣いた。
ひばりさんがくれた宝物が道しるべ
ひばりさんが亡くなったのは、それから間もなくのことだった。亡くなったという知らせを受けて病院に駆け付けたところ、息子の和也さんから渡されたモノがあった。黒いサングラスと黒いハンカチだ。そしてそこには、ひばりさんの字で書かれたメモが添えられていた。
「泣き虫メイコが来たら、これを渡してください」
そのサングラスで隠し切れないくらいの涙を、私は流した。
ハッピーに生きてきた私にとって、ひばりさんの死はいちばん悲しい出来事だった。
でも、ひばりさんのおかげで死ぬことが怖くなくなった。だって死ねば、美空ひばりに会えるのだから。
ただ心配なのは、ひばりさんがちゃんと迎えに来てくれるかどうかということだ。彼女も私もとんでもなく方向オンチだから。ひばりさんのくれた宝物が、道しるべになってくれるかな。
※本稿は、『大事なものから捨てなさいーメイコ流 笑って死ぬための33のヒント』(講談社)の一部を再編集したものです。
『大事なものから捨てなさい-メイコ流 笑って死ぬための33のヒント』(著:中村メイコ/講談社)
19年には骨折と入院を経験し、コロナ禍で女優業も思い通りにならない。そんななかでも明るく生きる喜劇役者が語る「生きるヒント」。