「お願いだから、学校に来てくれ」

19世紀のアメリカでは義務教育の年間開校期間が8週間程度でした。農家の子どもたちは重要な労働力ですから農繁期は家の仕事を手伝います。農閑期に入る11月から春まで学校が開かれる。学校に通うのは年間でそれだけです。

『君たちのための自由論――ゲリラ的な学びのすすめ』(著:内田 樹、ウスビ・サコ/中公新書ラクレ)

そんな短期間で何が教えられるのかと思う人がいると思いますが、本当に大事なのはその期間に子どもたちに詰め込める知識や技能ではありません。そうではなくて、学校が子どもたちに教えるのは、この世には「学校というシステム」が存在していて、望めばそこで多様な知識や技能を身につけることができる。さらに勉強を続けたいなら、さらに上級の教育機会があるという事実を教えることです。

君たちは「学び」に開かれているという事実を教えることです。それを教え、学校というのは「楽しいところ」だと子どもたちが感じてくれるなら、年間8週間でも十分だ、と。当時の教育者たちはそう考えたのだと思います。僕はその基本姿勢は正しいと思う。

ですから、たぶん公教育が始まった時期の教師たちが子どもたちに向けた最初の言葉は「お願いだから、学校に来てくれ」だったと思います。来てもらわないと話が始まらないんですから。

教師たちは子どもたちに向かって、「ここは君たちを歓待する場所である。ここには君たちのための席が用意してある。君たちが好きに使うことのできるリソースが用意してある。もっと勉強したいと思ったら、できる限り教える。上級の学校に行きたいと言うなら、そのための手立てを考える。だから、お願いだから学校に来てほしい」と必死で伝えようとしただろうと思います。