まったく無縁の二つのものを同時に研究してきた

僕は25歳の時に合気道の多田宏先生の道場に入門して、20代の終わりからエマニュエル・レヴィナスの哲学研究を始めるのですけれど、その時にレヴィナスが書いていることと多田先生が道場で言われていることは「同じ」だと直感した。でも、どこが「同じ」なのか、それが言葉にできない。哲学と武道ですからね、まったく関係がなさそうなんですけれど、僕は「同じもの」を感じた。

『君たちのための自由論――ゲリラ的な学びのすすめ』(著:内田 樹、ウスビ・サコ/中公新書ラクレ)

それから10年間はほぼ毎日昼間はレヴィナスの翻訳をしたり論文を書いて、夕方になると合気道の道場に通うという判で捺したような生活をしていました。僕が夕方になると大学院の読書会とか研究会とかあっても途中で退席するので、ある日指導教官から「内田はそんなに自分の健康が大事なのか。なぜ寝食を忘れて研究に打ち込まないのか」と叱られたことがあります。

でも、それは違うんですよ。僕は別に健康のためにやっているわけじゃなくて、レヴィナス哲学と多田先生の合気道のどこが「同じ」なのかを知ろうとして「研究」していたんです。

その時にはその「同じ」であることを指導教官に言葉では説明できなかった。さすがに今ではレヴィナスの哲学用語を使って武道の術理を説明したり、武道用語を使ってレヴィナスの哲学概念を言い換えたりというような「往き来」がかなり自由にできるようになってきました。そこまで来るのに30年以上かかりました。ですから、20代ではうまく言葉にできなかったのは当然なんです。

でも、このまったく無縁の二つのものを同時に研究してきたことは僕にとっては本当に良いことだったと思います。哲学だけを研究していたらきっとどこかで息切れして止めていたでしょうし、武道だけ稽古していても僕程度の身体能力ではごく凡庸な武道家で終わったと思います。

さいわい二つのことを同時にやっていたおかげで哲学者としても武道家としてもたいへんに楽しく専門の研究を続けることができた。