周りの評価に振り回されている
サコ おっしゃる通りです。先日も、修士時代からお世話になっている、町家研究のスペシャリストの先生が私に講演依頼をくれたんです。先生のほうが詳しいのになぜ私に、と恐縮したのですが、彼は「自分は空間については極めたけれど、多様な文化やコミュニティのあり方をそこに描くことができなかった」というんです。専門家としてモノフレームであって、マルチフレームな専門家にはなれなかったと。
物事を多角的に見る力を養いたければ、自分の知的好奇心に頼るしかないのですが、大抵は「違うことをやったら論文が弱くなるんじゃないか」「学会で評価されないのでは」「バッシングされたらどうしよう」と、周囲の評価に振り回されて怖くなってしまう。
それは、自分の居場所がその分野にしかないと思い込んでいるからですよね。本当はいろんな選択肢があるのに、あえてそれを取りにいこうとしない。これが日本社会を息苦しくしていると思います。
私は先日パリから帰ってきたのですが、成田空港に到着したとき驚きました。自分のマインドが日本に着いた途端、変化したからです。フランスではもうマスクはつけたい人はつけるけど、つけなくてもいいという感じなのですが、日本ではみんなに見られるからマスクつけなきゃ、となる。自分の意思より周りからの評価を優先する。
このマインドはマスクに限りません。世間のために自分をつくってしまう。だからいつまでたっても世間の束縛から逃れられず、いつか潰されてしまう。学者ならその悪循環から抜け出すべきなのですが、居場所を失いたくなくて抜けきれない。
※本稿は、『君たちのための自由論――ゲリラ的な学びのすすめ』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
『君たちのための自由論――ゲリラ的な学びのすすめ』(著:内田 樹、ウスビ・サコ/中公新書ラクレ)
かたや哲学者であり武道家、かたやアフリカ・マリ出身の元大学学長。2人の個性派教育者による、自由すぎるアドバイスとメッセージ。曰く、「管理から逃れて創造的であるために、もっと“だらだら”しよう」「“ゲリラ的”な仕掛けで、異質なもの同士の化学反応を生み出そう」「将来は“なんとなく”決めるべし」「世の中に“なんでやねん!”とツッコミを入れよ」。若い人たちが「大化け」するための秘訣を、コロナ禍の教育現場から発信。