いつ心不全、心筋梗塞を起こしてもおかしくない状態だったそうです。手術前、激痛に耐えながら、まず私が心配したのは、家に一人残してきた母のこと。母はその3年前から認知症の症状が出ており、私が介護をしていたのです。「母を一人残しては死ねない」という思いでした。

私には弟がいるので、「母のことをお願い」と急いで電話。翌日から私は仕事で東京を離れなくてはならず、母をショートステイに預ける予定だったのですが、それも弟が引き受けてくれました。

もう一つの心配事は、仕事のこと。それはクルーズ客船「飛鳥II」での船上ライブでした。2日後の本番に向けて、翌日には寄港地である京都の舞鶴港まで移動しなければならなかったのです。

絶対、仕事に穴は空けられないと思った私は、「明日には、どうしても退院したいのです」と先生に懇願しました。所属事務所にも、「いまから心臓の手術をするけど、明日には船に乗る」と伝えて。

15歳でデビューしてからの長い芸能生活で、私は一度も仕事に穴を空けたり、代役を立てたことはありません。このときも胸の激痛に耐えながら、チケットを買ってくださったファンの方たちのことを考えていました。

そして手術は無事成功。幸いなことに詰まった箇所が太い冠動脈ではなく、心臓周辺の細い血管だったので、「無理をしないように」と念を押されながら、仕事復帰の許可もいただき、手術から2日後、船上での2回のライブを無事に終えたのです。