何もかもさんまさんです

僕の場合は、生まれた時から社会の底の方で生活してたんで、楽しみは2割より少なかったと思います。おふくろの顔もあんまり分からへんし、親父もずっと病気がちでせき込んでましたしね。

だからこそ、この世界でのことがホンマに幸せやと思えますし、より一層、幸せの味が濃くなっている。何がプラスに働くか分からんもんです。

中学を卒業して、油まみれになりながら日立造船の因島工場で働いていた時に見たのがMBSテレビ『ヤングおー!おー!』。そこに映る明石家さんまさんを見て「この人になりたい!!」と思って、1977年に吉本興業の門を叩きました。

最初はスタッフというか、劇場で雑務をしながら芸人を目指す“進行”という形で吉本に入り、その後、漫談家の滝あきら師匠に弟子入りしました。さんまさんに出会ったのはまだ進行の時でした。さんまさんも僕も、まだ22歳ですわ。

最初はお茶に誘ってもらって、さんまさんの草野球のチームに入って、そのうちテレビの仕事もさんまさんをきっかけにいただきました。何もかもさんまさんです。今に至るまで、それは変わらずそのままです。(笑)

(撮影◎中西正男)