お茶を振る舞うのには、理由がある

うちの子たちが所属したチームは、地元の公立小学校のグラウンドで練習する総勢30名ほどの野球部。クラブチームではない。
監督、コーチはお父さんたちを中心としたボランティア。母たちのお当番業務もそれなりにあったが、昔よりは徐々に負担は軽くなってきている。
在籍中に一度は役員を務めなければないということで、ほかのきょうだいを抱えていては難しいと、子どものやる気とは裏腹になかなか入部させるに至らない家庭もあるという。

お当番というのはチームにもよるけれど、ケガの手当てや練習施設の鍵の管理、チームのウォータージャグやスタッフの飲み物を用意したり、保護者に連絡を回したりなどの業務で、回ってくる頻度も内容もチームによって違う。当番でなくても毎回練習を観にくるお母さんはいるので、その場にいる母たちで一緒にやることも多い。
いつしか母たちの間にも連携「チーム」が出来上がることになるが、これが習い事と違ってかえって面倒くさいというお母さんもいるらしい。

私が最初にチームに入ってお当番が回ってきたとき、いきなり試合が行われる大会当番が重なってしまった。こうなると自分のチームのお世話だけでなく、大会本部の設営、お茶出しなども担当しなければならず、そのシステムもよくわからないまま、周りの人に聞いて言われるがまま、本部の役員さんやお客様にお盆で運んだお茶を出した。本当に訳もわからず、相手が誰かもわからず、とにかく本部の椅子に座っている偉い方々にせっせとお茶を運んで回ったのだった。

試合の途中、グラウンドの出入り口、グラウンドに足を踏み入れない場所から、審判の方々に「給水でーーす!」と呼びかけてお茶を出すことも教わった。
きゅうすい。「お茶どうぞー!」ではないんだ。炎天下のメラメラとした中に延々と試合の審判をしてくださるお父さんたちには、本当に感謝しかないのである。

そう。
審判さんがいなければ試合はできない。大会を運営する方々がいなければ試合はできないのだ。

知らない大人がたくさん動いてくださるおかげで子どもたちは野球ができるのだが、そんなことをわかって野球をしている子どもは一体どのくらいいるだろうか。
正直うちの息子たちでさえ父親が学童チームにコーチとして入った時、嫌そうな顔をしていたので、そのありがたみをわかっていたかどうか。
父さん、いちおう野球はプロだったんですけどね…。

わが子が野球をやるためには、たくさんの人たちの手を借りなければならないということ。
親たちがグラウンドでお茶を振る舞うのには、ここにちゃんと理由があるのだ。
もしかして、そんなことにだいぶ気づかなかったのは私だけでしょうか。
大変申し訳なかったです…。