うっすらとしたナショナリズム
就活の時には時事対策として『産経新聞』ではなく『朝日新聞』か『毎日新聞』を読んだ。
近畿圏は『産経新聞』の伝統的地盤(『産経』の前身は大阪に本社を持つ『日本工業新聞』)であるにもかかわらず、就活を行う学生は図書館や学生センターにあった『産経』を除外した。
『産経』を除外したのは同紙が当時でも(あるいは現在でも)、保守的イデオロギーを前面に出していたために、政治的偏向がマイナスになる就職活動にはあまり役立たないと考えていたからである。
要するに当時の学生たちは基本的に強い戦後民主主義的価値観を護持していたのである。
ではなぜ若者は日の丸をペイントして君が代を歌ったのかというと、すでに彼ら(我々はといってもよい)の中に、日の丸や君が代へのアレルギーが無くなっていたからにすぎない。
日の丸や君が代の肯定や否定は常に政治的文脈の中で語られる。この中で肯定は右派であり、否定は進歩派・リベラルとされるきらいがある。
しかしすでにこのゼロ年代前半、我々の世代には、国旗や国歌を政治的文脈で見るという価値観自体がほぼ風化していた。
それを「薄(う)っすらとしたナショナリズム」と強引に捉えて解釈することもできるが、日の丸・君が代を「軍国主義」「アジア侵略」「天皇制賛美」と結びつけるアレルギーが存在せず、星条旗やユニオンジャックや太極旗と同列に単なる国旗・国歌としか認識しなくなった世代というだけで、やはり熱心な政治的右派にはつながらない。
当時、『ぷちナショナリズム症候群』(中公新書ラクレ、2002年)で描かれた若者はまさしく私と同世代の人々であった。
日韓W杯から20年がたって、彼らはアラフォー(35~44歳)になったが、依然として右傾化と政治的右派の主力は彼らではなく、それよりもっと上の年代、つまりシニアである。