びっくりシチュー

すぎやま氏は満州事変が起こった1931年の生まれで、敗戦当時14歳だった。敗戦直後すぎやま氏の家は中央線沿線に間借りしていた。

すぎやま氏の父は食糧難から米軍放出の闇鍋を買い求め家族を養うしかなくなった。

立川の米軍基地から出た「残飯シチュー(当時はびっくりシチューと呼んだらしい)」を買って帰宅したすぎやま氏の父は、米兵の食べ残しを煮詰めたごった煮のそれを搔っ込みながら「……悔しいっ!」と涙を流していたという。

『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(著:古谷経衡/中央公論新社)

すぎやま氏はこの時の父の姿が生涯忘れられないのだと語った。

すぎやま氏は確かに平成以降になって国家主義的な価値観を標榜し、右傾言論人としてその界隈で有名人となった。

しかしそれは「アメリカに負けた悔しさ」を前提とした敗戦経験を下敷きにしたものだった。そしてすぎやま氏は、私の知る限り「憲法9条の改正」を熱心に唱えたものの、差別的な言動を取ったことは無かった。

強烈な戦争の原体験が残っている世代は、仮に後年政治的右傾の立場をとっても差別主義者になることは無い。いかに日本帝国とその国民が彼らを弾圧し差別し搾取していたのかを原体験で知っているからである。