「広い世界を見てきなさいよ」

人里離れた家へ坂を上って帰るたびに、海と山とに〈おかえり〉と抱かれるようだった。

背後に山、目前に瀬戸内海を見る神戸に戻るような気がした。

海を越えてからのほうが、日本で過ごした時間よりも長くなった。

厳しい上り坂に差しかかるといつも、「広い世界を見てきなさいよ」と、海と山に戻った祖父の声が聞こえてくる。

※本稿は、『イタリア暮らし』(集英社インターナショナル)の一部を再編集したものです。

【関連記事】
内田洋子 地下鉄で見知らぬ男性から突然「おかあさん」と呼ばれた理由とは。コロナ禍で殺伐とした東京で〈もっとしゃべったらよかったなあ〉と後悔して
内田洋子 私の生活にはラジオが欠かせない。独りなのに大勢。遠いけれど近い。圧がなく自由で、思いやりがあるラジオの思い出
ヤマザキマリ 母の葬儀を進める中イタリア人の夫が発した意外な一言とは。母がその場にいたら、息子と夫のしどろもどろな様子を前に呆れながら笑っていたにちがいない

イタリア暮らし』(著:内田洋子/集英社インターナショナル)

イタリアにわたり40年余り。
ミラノ、ヴェネツィア、リグリア州の港町、船で巡った島々……。
暮らしながら観てきた、イタリアの日常の情景。

常に、新たな切り口でイタリアに対峙してきた内田洋子が2016~2022年、新聞・雑誌・ウェブに寄稿した文章から厳選。
ふだん着姿のイタリアが、ここにある。