内田さんがいつでもどこへもラジオを連れていく理由とは――(写真提供:Photo AC)
「コロナ禍でも人への思いやりを大切にし、いつもの暮らしを守ろうとしてきた。それは、中世から疫病と戦い公衆衛生の礎を築いてきた、半島に生きる人々の品格なのかもしれない」と話すのは、イタリア在住のジャーナリスト、内田洋子さんです。ミラノ、ヴェネツィア、リグリア州の港町、船で巡った島々……。イタリアにわたって40年以上になる内田さんの日常には、たくさんの物語があるといいます。その内田さんが日本に帰国中、イタリアからの連絡を待ちながら思い出したこととは――。

独りにつき添うラジオ

昨年1月末にローマの観光客2人から始まった疫病は瞬く間にイタリア全土へと感染拡大し、ロックダウンは2カ月半にも及んだ。

イタリア現地からの報道が私の仕事なのだがたまたま日本に帰国中だったため、遠くから皆の安否を確かめることぐらいしかできない。イタリアからの連絡をじっと待つ毎日を送った。

未曽有の事態ではあったけれど、実を言えば、私の生活は以前とそれほど変わらなかった。

各地に散らばる記者やカメラマン、情報筋からいつ連絡があってもいいように、これまでもメモ帳と電話を枕元に置いての半球睡眠の暮らしだったからである。

そういう生活で、いつも私の相手をしてくれるのはラジオだ。ポケットラジオを離さない。いつでもどこへも連れていく。庭や台所、風呂場に仕事場、バルコニーや寝床で、アンテナを引き上げ周波数を合わせる。

ザアザア、プツプツの向こうから、ニュースや笑い声、時報、スポーツ試合の実況中継、感嘆や音楽が聞こえてくる。

独りなのに、大勢。遠いけれど、近い。外の世界が、内側へと入ってくる。
いつもラジオは圧がなく自由で、思いやりがある。