窓の外は、空と草原と牛だけ

木の柵に無造作に掛けられた古いポータブルラジオから、音の割れたヴェルディの歌曲が聞こえてくる。ゴム長靴を鳴らしながら出てきた中年の男性は、照れ臭そうにあごをしゃくって挨拶した。

何年か前、サルデーニャ島を訪れたときのことである。

15万年前から人が住み始めたとされるヨーロッパ最古の島には、原生林が続くかと思うと石だらけの荒地が現れ、草原を抜けると絶壁が、そしてエメラルドグリーン色の海から突き出すオレンジ色の岩礁、と多様な自然に恵まれている。

『イタリア暮らし』(著:内田洋子/集英社インターナショナル)

島でしか採れない植物や生き物と暮らす生産者が内陸にいると聞いて、現地を訪れたのである。

その人は黙って手招きし、小屋へ案内した。打ちっ放しのコンクリート壁に白いピータイル敷きの床があるだけで、しかし隅々まで掃除が行き届き厨房(ちゅうぼう)同然だった。搾りたての乳の匂いが満ちて、赤ん坊を抱くような切なくて甘い気持ちになった。

彼はここで独り牛と暮らし、島内でただ唯一のモッツァレッラチーズを作っているのだった。

窓の外は、空と草原と牛だけだ。夜が明け、悠々と牛が横切り、止まって、立ち枯れした草を喰(は)む。カサコソと乾いた草がなびき、乳房が柔らかく揺蕩(たゆた)い、日が沈み、空の裾が赤く染まる。そして、月。