昔話はともかく。母の作ってくれた喪服は一回も袖を通してない。父や母の死んだときにはあたしはもうオバQになりかけており、喪服なんか着ずに済ませた。何か言いそうな父や母は死んでいたから、喪服を着なくても誰にも何にも言われなかったからだ。

ところが数日前のお葬式で──。

もう家を出ないと遅れるというときに、あたしは、ここ数か月着ていた数枚のオバQ服が、どれも黒じゃなくて濃紺だということに気がついた。黒のつもりで買って黒のつもりで着ていたのだった。黒と紺の色がわからなくなるのも老化なんだろうなと考えつつ、あたしは困った。亡くなった人と親しかったので受付なんかもやるつもりだったのだ。

家探しすると、もちろん他にも黒いシャツはあり、しかもめずらしく洗濯屋に出してプレスのかかってるやつもあった。ところが袖を通してみて気がついた。裾に白字でオシャレなロゴが入っていた。たいてい無印やユニクロなのに、それに限ってはどこかのブランド品、お値段も十倍したのだった。

紺色がだめなら白のオシャレなロゴ入りもだめだ。あたしにだって、お葬式の受付がそんなもの着てたらだめだと考えるだけの良識はある。でも時間がない。それで裾を折ってロゴを隠し、ダブルクリップで留めてみた。クリップの本体は黒いから見えなくなったけど、金具の部分はちょっと目立った。つけたまま来ちゃったのねと気づいた人には思われるだろうが、思われたら思われたでイイと思って、そのまま出かけた。そして誰からも何にも言われなかった。

なんだか何かに勝ったような。何に勝ったんだっけ。自意識か、社会のルールか、嫁姑か、母と娘の闘いか、何かなんである。


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米国人の夫の看取り、20余年住んだカリフォルニアから熊本に拠点を移したあたしの新たな生活が始まった。

週1回上京し大学で教える日々は多忙を極め、愛用するのはコンビニとサイゼリヤ。自宅には愛犬と植物の鉢植え多数。そこへ猫二匹までもが加わって……。襲い来るのは台風にコロナ。老いゆく体は悲鳴をあげる。一人の暮らしの自由と寂寥、60代もいよいよ半ばの体感を、小気味よく直截に書き記す、これぞ女たちのための〈言葉の道しるべ〉。