二宮金次郎像が撤去され始めた理由
努力が結果を生むという意識は、われわれ日本人のなかにも長く根付いてきたものである。どこの小学校の校庭にも設置されていた、薪を背負って読書をしながら歩く二宮金次郎の銅像や石像は、そうしたかつての日本の教育方針をあらわしている。
貧しく苦労だらけの環境に育ちながらも学問に励み、その甲斐あって成功者となった二宮金次郎は、豊かな国を目指す明治以降の日本にとって、もってこいのシンボルだった。
その半面、金次郎像が全国区になった背景に、国家の教育政策を商売に利用しようとした業者の存在があることも無視できない。教育とビジネスはセットになっているものなのである。
ところが、そんな二宮金次郎の銅像も今では姿を消しつつあるのだそうだ。
勤勉を押しつけるウザい存在という見方は私の子ども時代からすでにあったが、昨今の撤去の主たる理由は、「読書もスマホもながら歩きは危険」「現在の教育方針にそぐわない」というものらしい。
二宮金次郎の銅像を見て「自分もこの人のようになろう!」と思った人間が果たしてどれだけいたのかわからないが、“ゆとり世代”という言葉が生まれた時代の流れと銅像の撤去はあながち無関係ではなさそうである。