およそ「よりよい」からはほど遠い
曲芸の技術がお金をとれるほどには高くないのもいい。職業ではないということだから。仕事や家族の世話で疲れ果て、バタンキューという生活でもなさそう。
だから、余った気力体力を趣味に充てることができている。実益とは無縁の、非生産的動画制作に。最高の贅沢ではないか。
私たちは、「よりよい自分」や「よりよい生活」を効率的に入手するために、目標や成長や生産性といった言葉に囚われすぎているように思う。目標も成長も生産性も漠然としていて、必要なのかも、欲していることなのかもわからない。
ただ、そうしているほうが人として賢いような雰囲気だけ。周囲の熱気に煽られ、駆り立てられているだけ。
本当にそれで、「よりよい自分」や「よりよい生活」が手に入るのだろうか。苦肉の策で捻り出した目標、思い通りにいかぬ成長、生産性に追われる毎日。およそ「よりよい」からはほど遠い。
本来は、逆だ。生産性や効率を度外視できるのは、基礎的な生活が盤石であってこそ。いつ砲弾が飛んでくるかわからないような環境では、命を守ることで精いっぱいだもの。