お役に立てればと、「樋口恵子賞」を創設

この日、第1回「樋口恵子賞」の表彰式を行いました。私自身、これまでの評論活動や社会活動で津田梅子賞などさまざまな賞をいただき、その賞金が貯まっていました。かねて「私が死んだら、会のために有意義に使ってね」と言っていたところ、理事の方々から、「社会に貢献した人を称える賞をつくっては?」という声が上がるようになりました。

じつは40年前、私たちが1983年に「高齢社会をよくする女性の会」を立ち上げる際、社会からの善意、恩恵を受けています。当時、「介護」を軸に「女性の会」をつくろうという動きはあっという間に広がりましたが、まだみんな若くて肝心のお金がありません。

そんなとき、公益財団法人「生命保険文化センター」から基金を使わないか、と声をかけられました。初年度300万円、2年目200万円、3年目100万円と3年間拠出されるもので、その後は自立せよ、という資金援助。市民活動の初動時点で、世の中の善意と他者の拠出を受けたことは忘れられません。

いつか微力ながらも恩返しをしたい――みんな、そんな気持ちを抱えていました。そうこうしているうちに昨年私は、90を前にして乳がんの手術を受けることに。無事生還したところ、「卒寿記念に始めましょう!」と会のメンバーたちの後押しがあり、一気に賞創設の運びとなりました。

(イラスト=マツモトヨーコ)

ただし、私としては、「樋口恵子賞」という固有名詞の名称には抵抗がありました。女性の名前がついた賞は、平塚らいてう賞、津田梅子賞などがありますが、みなさん社会的に高い評価を得ておられ、かつ、すでに亡くなっています。

そこへいくと私は、ヨタヨタヘロヘロしながらも生きながらえている。そんな偉い著名な女性の真似をするのはおこがましい、という程度の認識は持っています。生前に自分の名前を冠した賞を創設するなんて、目立ちたがり屋だと批判されかねません。

会員の中には「売名的」と思う方々もいたと思います。どうしたものかと考えているうちに、いいお手本として「赤松良子(りょうこ)賞」があると気づきました。

赤松良子さんは私より3歳上の敬愛する先輩で、最近も新著『男女平等への長い列』を出版。労働省婦人少年局長時代、男女雇用機会均等法制定の中核となった方です。赤松良子賞は赤松さんが基金を寄託し、「国際女性の地位協会」創立10周年を記念して97年に創設されました。女性の地位向上に貢献した国内外の個人・団体を表彰しています。

私も、「他人のファインプレーを応援しよう」というその精神を見習おうと、覚悟を決めた次第です。幸い会員の中から実行委員会を立ち上げるかたちで実現できました。