漫画家、作家、コメンテーターとして幅広く活躍していたさかもと未明さんは、2006年に膠原病を発症し、手指が使えなくなるかもしれない状況に。「表現」の一つとして歌手としての活動を開始した。その後、病とつき合いながら絵を志して2017年に画家デビュー、着実にキャリアを重ね、2021年、2022年にはフランスの権威ある絵画展サロン・ドトーヌに2回の入選を果たす。何度もフランスを訪れる中で出会ったあるスタジオとその歴史に魅了され、ポートレイトの撮影を決意。贅沢ではあるが唯一無二の体験を、ルポしてもらった。
スタジオ・アルクールで撮影をしないうちは俳優ではない
ジャック・ラクロワからの愛の証として、思うままにできる写真スタジオを、1934年に手に入れたコゼット(当時34歳)。しかしそれは始まりに過ぎなかった。1938年には、イエナ通り49番地というパリの一等地の大邸宅内に、大理石の階段のある大きなスタジオを作り、世界中の銀幕のスター。さらにはイヴ・モンタンやエディット・ピアフ、ジュリエット・グレコなどの大物歌手。ジャン・コクトー、サルバドール・ダリ、藤田嗣治、早川雪洲、等の芸術家。シャルル・ド・ゴールやモナコ大公、ウインザー侯爵夫人などの政治家・公人まで顧客に迎えた。
当時の映画館の内部には、アルクールのスター写真を飾ることが流行となる。批評家のロラン・バルトは「現代社会の神話」の中で
「フランスにおいて、スタジオ・アルクールで撮影をしないうちは俳優ではない」と記した。
マヌエル兄弟スタジオの写真など、それ以前のポートレイト写真の技法は、コントラストを落とし、柔らかく仕上げるものだったが、コゼットは当時最新の映画のスポットライトを使ってドラマティックな光を作り、その中で人物を撮影させた。ブリントの時は更にコントラストを強くし、修正を行う。威厳を尊重し、スターたちには笑顔を求めず、シンプルでシックな服装を勧めた。飾り立てるよりもミニマムなエレガンスを追求したコゼットの「哲学」と「美学」が、今でも世界唯一といわれる、アルクール独特の作風を生み出したのだ。