周りに“マドモワゼル”と呼ばせたコゼット
いずれにせよ1939年、コゼットとジャックは結婚する。ある意味で「必要に迫られた結婚」だった。経営を配下に任せ、大戦の間はフランス南部の自由区や、時にイギリスなど他国に身を隠したようだ。そのまま結婚していればいいようなものだが、大戦が終わるとコゼットはジャックに、「名前を返す」ことを提案。結局離婚してしまう。
コゼットはジャックを愛していなかったのだろうか? 資金や身の安全の為、ある意味利用しただけなのだろうか? 他に自由に会いたい恋人がいたのだろうか? これらの疑問は絶えず私を悩ませた。彼女の評伝も開いてみたがはっきりと回答は得られない。何しろ彼女は自分の人生を「意図的に消す」作業を怠らなかったからだ。ジャックとの仲睦まじい写真や結婚式の写真さえ見つけることはできなかった。
しかし、離婚後もジャックとコゼットは連れ添い、ジャックが弟のジャンと離別してからも二人の仲は変わらなかったという。遂にコゼットが1976年に亡くなると、失意のジャックは経営への熱を失い、1980年にスタジオを処分したという。(しかし、同年に、ハリーリ兄弟によって再興されるのだが)。
離婚後、コゼットは自分のことを周りに“マドモワゼル”と呼ばせ、ジャックと共にアルクールの写真を作ることに心血を注いだ。
これはわたしの推測に過ぎないが、「名前を借りて守られる」という立場が、彼女には居心地が悪かったのではないか。コゼットはジャックと対等でいたかった。いや、ジャックにさえ「マドモワゼル」と呼ばれ、崇拝され続けたかったのではないか。