「生き様もファッションも自由」な時代
コゼットは、写真の技能にたけていただけでなく、社交の天才でもあった。
彼女はココ・シャネルとも親交があり(なぜかその写真は残っていない)、多くの著名人をアルクールに呼び寄せた。テニスやゴルフなどスポーツをよくし、煙草を吸い、自らハンドルを握ってスポーツ・カーを乗り回したという。服装は、ニナ・リッチはもちろんだが、シャネルの服も着たようだ。
この時代は、女性の生き方も大転換期。「戦前Avant-guèrre」と、「戦後Aprés- guèrre」 の女性の生き方もファッションも大きく変わっていった。コゼットやシャネルだけでなく、E.ピアフやコレット、少し後ではF.サガンのように、男に愛されるのを待つだけでなく、「自ら愛する男を選び、勝ち取っていく」、「生き様もファッションも自由」な女たちを、時代が量産したともいえる。
しかし、自由でありながら、彼女たちの人生には「愛された女性」としての物語に満ちている。恋人に資金提供を受けて帽子屋を開いたシャネルしかり、スタジオを設けてもらったコゼットしかり。単に自立したキャリア・ウーマンとして「なんでも一人でする」、というのも立派だが、それでは女に生まれた甲斐がないだろう。実際、一人だけで仕事をするより、男とチームを組んだ方が事業も広がる。「男の援助を受ける事」は単なるチャンス。彼女たちはきちんと事業を成功させて「Give back」している。それは決して、敗北でも従属でもないのである。
さてコゼットと、彼女を愛したジャックの話に戻ろう。ジャックの愛をうけて成功したコゼットだが、二人の結婚は普通の形とは違っていた。第二次世界大戦がはじまり、ナチの「ユダヤ人狩り」が激化すると、コゼットは更に身を隠す必要に迫られる。
ジャックはコゼットを守るため、フランスの名家である、ラクロワの苗字を「与える」ことを彼女に提案する。Harcourtも名家の名前だが、実際にはとってつけた名前だし、彼女を守ってくれる親戚がいるわけではない。それより、ジャック自身がラクロワ家の当主として彼女を守る方が、はるかに安全だったろう。普通のプロポーズではとても結婚してもらえないと踏んだジャックが考えた「作戦」だったのかもしれない。