70歳まで仕事を続け、贅沢とは無縁の人生
都営住宅で暮らすようになったのは、若い頃に離婚したのがきっかけ。当時、母子家庭は都営住宅に優先的に入居できたのです。20年ほど前、そこが建て替えになり、今のところに引っ越してきました。
離婚後は鰻屋さんのお運びや化粧品のセールス、姉がやっている喫茶店の手伝いなど、ずっと働きづめ。ファッションが好きだったので、50歳からは結婚式場の衣装アドバイザーになり、70歳まで仕事を続けました。
贅沢とは無縁の人生でしたが、好奇心が湧いたことには迷わずチャレンジしてきたと思います。手話に興味を持ち、3年間、週1回の講座に通ったことも。手話通訳者にはなれませんでしたが、今も団地にお住まいの聾唖の方たちと手話でお喋りしています。お金をかけなくても豊かに暮らす方法を、自分なりに見つけてきたんですね。
娘は24歳の時、アルバイトで貯めたお金でイギリスに留学。娘と離れるのが寂しくて、成田空港に見送りに行った帰りに思わず泣いてしまいました。当初は半年の予定でしたが、結局カレッジに進み就職し、夫も見つけて国際結婚したので、ずっと離れ離れの生活です。