オーケストラスタイルのコンサートをやったことで、これまでとは異なる客層にも歌を聴いてもらえたんじゃないかと思っててね。それぞれが1万円を超えるチケットを手に入れて、ホールまで足を運んでくれている。決して安い値段じゃないし、そこには「いまのASKAはどんな歌を歌うんだ?」という好奇心というか、色物を見るような目で来られた方もいたと思うんだ。それでもいい。
実際、事件のあとに僕の曲をはじめて聴くようになったという若い世代が増えたんですよ。ここにきて、これまでと男女比率が大きく変わったかな。圧倒的に男性が増えたね。
ライブ活動を再開できたことには、本当に感謝の気持ちしかないです。客席からかかる「待ってたよ!」という声をありがたい、と思いながらステージに立たせてもらっています。
◆ひとりになり、自分を縛るものがなくなった
──音楽活動の再開当初の模様としては、16年にブログを開設、その年の暮れに新曲「FUKUOKA」をネット上で公開。翌年にはアルバム『Too many people』をリリースしています。再開までは苦難の道のりだったそうですね。
最初は飛行機やホテルの手配ひとつとっても、すべて自分でやりました。本当に世の中のこと知らないなぁ、というジレンマの連続。アルバムを作りたい一心だったので苦労を苦労とも思わなかったけど、厳しかったのは、レコーディングしたくてもコンプライアンス上、僕にはスタジオが借りられなかったこと。
それを知った故郷・福岡のミュージシャンたちが、「福岡でレコーディングしましょう」と言ってくれたのが第一歩だったね。レコーディングに参加してくれたミュージシャンたちの所属事務所にだって、コンプライアンスの問題はあったでしょう。お客さんの声援もそうですが、「待ってるから」という仲間たちの言葉に何度も背中を押してもらいました。
──2年の間にアルバムを2枚制作。音楽配信サイトも立ち上げ、新曲を続々と発表しています。特に18年は、3月から8月まで毎月1曲のペースで配信するという。曲にもいろんな試みが増えて、思わぬコードから始まったり、ちょっと奇天烈なコード進行だったり。間奏の小節が4つ少ない、とかね。
よく聴いてくれてるじゃん(笑)。自分でも驚くほど、作りたい楽曲がどんどん生まれてくるね。作ろうと思うと作れるし、以前は曲より詞のほうに時間がかかっていたけど、詞に時間がかからなくなった。
「前を見て歩くんだ」と決めてからは、すべてに迷いがなくなってね。自分でレーベルを持ち、配信サイトも設立できた。なぜできたか? それは僕が、ビジネスをしようと思わなかったから。
こういう言い方をすると誤解されるかもしれないけど、あれがなければ、いまはなかった。自分ひとりになり、自分を縛るものがなくなった。気づかぬうちに、いろんなことに縛られていたと気がついて。音楽が自由であるように、それを作り出すミュージシャンも、自由でいなきゃね。