家屋の3分の1が空き家

フリウリ州は、シチリア島やヴァッレ・ダオスタ州などとともに特別自治州の一つで、この災害をきっかけに自治力を発揮し、倒壊した建築物の修復と同時に耐震補強を強化していったことでも知られている。

この時、コメリアンス村の復興のために最初に解決しなければならなかった問題が、空き家対策だった。

『世界中から人が押し寄せる小さな村~新時代の観光の哲学』(著:島村菜津/光文社)

太古の先住民族の名からカルニア地方と呼ばれるこの山間地の村々は、1928年にも地震の被害を受けていたことで、ある程度の耐震補強が施されていた。

そのため、人的被害こそ少なかったが、人口減少は劇的だった。

農家ばかりだったこの村では、約1000人の人口が半減し、家屋の3分の1が空き家となった。

しかし、多くの家主が不在という状況では、従来の農家民宿も成立しない。

空き家を改装して観光化するにも、いったい誰が鍵と部屋の管理をし、客に食事を供するのかという話になった。被災した村には圧倒的に人手が足りなかった。

そこで生まれたのが、レセプションは村に一つでいいのではないかという案だった。それならば、社交的な適任者が数人いれば何とかなる。

人が住んでいなければ夕食のサービスは難しいが、それなら村に残っている食堂やバールを利用してもらえばいい。

そうして村全体にお金を落としてもらった方がむしろいいのではないか、となった。

アルベルゴ・ディフーゾという名を閃(ひらめ)いたのは、2017年に他界したコメリアンス出身の詩人レオナルド・ザニエールだった。82年のことだ。その実家も宿となっている。