本当に空っぽになってしまった

しかし、産業革命の波、二つの大戦と、常に人口流出に悩まされてきたアルプス山岳地方の中でも、最も過疎化に悩まされているのが、このアルプス東北地方だそうだ。

「1976年の震災は、いわば最後のダメ押しのようなものだった。あの地震で、村は一度、本当に空っぽになってしまった。

アルベルゴ・ディフーゾは、そんな中で、自分たちの村を何とか消滅の危機から救いたい、もう一度、活気のある村にしたいという住民や支援者たちの思いが、その熱気の中で自然発酵することで生まれた言葉だった。

従来のホテルが、垂直方向に伸びるビルの中に食も娯楽も詰め込まれているのに対して、新しい宿は、村全体に水平方向に拡がる。

そのイメージにザニエールがディフーゾという言葉をあてがった。

村再生プロジェクトは、震災の翌年、スイス連邦工科大学の協力のもとに始まった。

ザニエールの妻で、この大学の教授だった建築家フィオーラ・ルッサーナのおかげで、大学は研究者や学生たちを送って全面的に支援してくれた」

この村では今も、当時カルロたちが立ち上げた村の協同組合が、宿の運営を続けていた。

震災の被害が大きかった集落を中心に13棟のアルベルゴ・ディフーゾが点在する。室内はシンプルで、中には家畜小屋や干し草小屋を改装した部屋もあるが、どれも50~70ユーロと手軽な値段だった。

価格は部屋単位なので、これならば1週間ほど家族で滞在しても大きな負担にはならない。