美しさに気づくには、詩人が必要

カルロは、ザニエールに会わせられないのが残念だと繰り返した。

「僕はね、アルベルゴ・ディフーゾを始めるには、詩人が必要だといつも言う。それは、その名づけ親が詩人だからというだけではない。

村の暮らしが存続すること、村らしさを失わないこと。それが何よりも大切だ。

それなのに大抵の村では、地元の人たちが、その美しさを自覚していない。そこに気づかせてくれるのが詩人だ」

村に複数の宿が生まれ、それが交流の拠点となることの意義について熱く語った。

新しい宿は村全体に、水平方向へと拡がる(撮影:島村菜津/写真提供:光文社)

「余暇の文化、古民家、歴史、自然、職人、食文化、農業や林業、そうしたもののすべてが、この村に人が住み続けることによって、ようやく存続しうる。

政治家たちは、人が水源の村に暮らさなくなることで、どれほどの費用が必要になるのかを、まだ理解していない。

荒れた森や河川などの環境保護の問題は、今後、ますます大きくなるだろう。

それから、山村に暮らす若者たちが、何に最も苦しんでいるかわかるかい? 

それは病院が遠いとか、経済性でもない。何よりも苦痛なのは疎外感だ。

いつだったか、40人ものシチリアの大学生たちが、この村に視察のために2週間も滞在した。すると、老人ばかりの村の空気が一変した。

若者たちがいてくれることの大切さを痛感した。

動かなくなった村の様々な要素を活性化する動力となるもの、それがアルベルゴ・ディフーゾを軸にした新しい観光なんだ」