『ジャンプ』元編集長・鳥嶋さんいわく、あの『ドラクエ』は持ち込み企画から生まれたそうで――(写真提供:Photo AC)
『電波少年』『ドラゴンボール』『ドラゴンクエスト』。エンタメ史に輝くヒット作の裏にはいつも天才編集者やプロデューサーの存在がありました。しかし、彼らも初めから「天才」だったわけではありません。今回、元・週刊少年ジャンプ編集長で『ドラゴンボール』などに携わった鳥嶋和彦さんが、社会学者の中山淳雄さんと対談。鳥嶋さんいわく、あの『ドラクエ』はある持ち込み企画から生まれたそうで――。

遊び仲間と始めた企画が『ドラゴンクエスト』に

中山 鳥嶋さんのゲームとの関わりをくわしくお聞きしたいです。『Dr.スランプ』が大盛況だった時代に、ジャンプの巻末の読者コーナー「ジャンプ放送局」を1982年に始めます。

鳥嶋 新宿でロケテスト*1をやっているゲームセンターがあったんだけど、2週間ごとにゲームが入れ替わるのでそこでよく遊んでいました。その遊び仲間がさくまあきらさん*2で、彼の紹介で一緒に遊ぶようになったのが集英社の『Seventeen』でも仕事をしていたライターの堀井雄二さん*3です。

中山 ゲーム業界を作り上げたレジェンドの方々ですね。「ジャンプ放送局」はどのようにスタートするんですか?

鳥嶋 どこのマンガ雑誌も巻末に読者コーナーをもっていた時代で、そこは部署の新人の仕事だったんですよ。僕はすでにデスクだったので普通はやらないんですが、当時ジャンプ編集部に力がなかったからなのか新人がしばらく取れない人員不足で、デスクだった僕に話がまわってきた。僕はやりたくなかったので、引き受ける交換条件として、自分のやり方でやらせてくれ、と。

まず4ページを8ページに増やして、それまでの構成担当者に降りてもらい、さくまさん主導でイラストレーターの土居孝幸さん*4なども引き込んで、外部の人とチームで作る特集にしていった。コンセプトは「マンガが描けなくてもハガキ1枚でジャンプに載れる」。

中山 そのジャンプ放送局のメンバーがそのまま『桃太郎電鉄』の企画者たちですね! これをきっかけに、ゲームクリエイターたちとつながりができたんですね。PCの特集も組まれてましたよね。ジャンプなのに。

鳥嶋 PCって当時は高かったので本当は読者層には買えなかったんですよ。20万~40万円するものだから、編集部ですら買えなかった。そこで堀井さんとPCショップの店頭に行って、PCを借りて撮影させてもらったり、交換条件に鳥山さんのサイン色紙をあげたりして、なんとかゲリラ的に特集を組んでましたね。

*1 ロケテスト:新しいゲームをリリースする前に、試験的にゲームセンターの店舗で一定期間プレイをしてもらい、ユーザーの反応をみる「ロケーションテスト」を行っていた。

*2 さくまあきら(1952~):『桃太郎電鉄』シリーズなどのゲーム原作者。1982~95年『ジャンプ放送局』の構成を担当する。立教大学漫画研究会に所属時、早稲田大学の堀井雄二や土居孝幸と出会い、ライターとして独立しながら、『子連れ狼』などで知られるマンガ原作者の小池一夫の一番弟子として劇画村塾に入塾。北海道で蟹を食べようという口実でハドソンに桃太郎シリーズのゲーム企画を持ち込んだ。

*3 堀井雄二(1954~):『ドラゴンクエスト』のゲームクリエイター。早稲田大学漫画研究会時代に漫研の書籍を執筆したことをきっかけにフリーライターとなり、PCゲーム『ポートピア連続殺人事件』を手掛けるなどゲーム開発で才能を発揮していった。

*4 土居孝幸(1955~):『桃太郎電鉄』シリーズのキャラクターデザイナー。早稲田大学漫画研究会に所属し『ぶりっ子!リトル』など複数の雑誌でマンガ連載もしていた。