一度も原稿を待ったことがない

中山 しかし、『ドラゴンボール』の編集者もやりながら、よくロサンゼルス出張したり、『ウルティマ』したりされてましたね。仕事が複次元すぎて、同じ人間がやっているとはにわかに信じ難いです。マンガの編集をしているとゲームをやってる時間なんてないのでは?

鳥嶋 時間を捻出してゲーム1本あたり10時間とかかけてやりこんでましたよ。鳥山さんは原稿ちゃんとしてるんで、特に問題はなかったですね。

もともと残業をしないというのもあったし、僕は入社以来一度も原稿を待ったことがないんですよ。先生の原稿待ちで自宅に詰めるとか、ああいった非合理的なことは一切しない。だから業務時間が終わってから、ゲームをしたりしている時間が十分にあったわけです。

中山 ただ、人気だった『ファミコン神拳』も1988年に終了になってしまいます。なぜ続かなかったんでしょうか?

鳥嶋 『ファミリーコンピューターMagazine』や『ファミコン通信』が出てきて、だんだん裏コマンドは詳しい人間が解析する時代に入っていた。

そうした中で文系3人組の我々では太刀打ちできなくなったというのもあるし、あとやっぱり仕事が大変は大変で、マンガの編集をやりながら特集もやってゲームの単行本までやっていたから、僕も1年が限界だった。

あのときは1か月毎日、堀井さんと3食食べてましたからね。堀井さんもエニックスの仕事が忙しくなって、2人ともだんだん離れていった。それで終了ですね。

※本稿は、『エンタの巨匠 世界に先駆けた伝説のプロデューサーたち』(日経BP)の一部を再編集したものです。


エンタの巨匠 世界に先駆けた伝説のプロデューサーたち』(著:中山淳雄/日経BP)

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