『電波少年』を手掛けた土屋さんいわく「これは面白いという人間が1人でもいれば企画は成り立つ」と言いますが――(写真提供:Photo AC)
『電波少年』『ドラゴンボール』『ドラゴンクエスト』。エンタメ史に輝くヒット作の裏にはいつも天才編集者やプロデューサーの存在がありました。しかし、彼らも初めから「天才」だったわけではありません。今回、伝説的企画を数多く手がけた敏腕プロデューサー・土屋敏男さんが社会学者の中山淳雄さんと対談。土屋さんいわく「これは面白いという人間が1人でもいれば企画は成り立つ」と言いますが――。

猿岩石のヒッチハイク企画が生まれた理由

中山 猿岩石のヒッチハイクはすごく印象的でした。アポなしからヒッチハイクにフェーズが移ります。

土屋 アポなしをやっているうちにインターナショナルを作り始めて、その中でキャイ~ンのドイツ・オランダ国境ダジャレヒッチハイクがあって、ヒッチハイクって面白いなと。

それでヒッチハイクとドラマをくっつけたらどうだろうと。ドラマのいいところって最終回は必ず数字が上がる。なぜならそれはゴールがあるからだ、と。

そのときにちょうど青山ブックセンターで『深夜特急』が文庫化されて並んでいたのを見たんですよ。午前2時に。これだ!と。香港からロンドンまでヒッチハイクしたら面白いんじゃないかというので、あの企画に至ります。

中山 出演した猿岩石は、どうやって選んだんですか?

土屋 普通のタレントは無理ですよね。何か月かかるかもわからないし。無名でガッツがあるやつというのでオーディションをやっていたときに、猿岩石の2人が広島から東京にきたときに野宿したという話をしていた。野宿できるのか、これはいい、と選びました。